店長日記 – 冬の朝に届いた物語
冬の朝に鳴った電話
一月のとある朝、凍てつく寒さの中で、今年最初の来客を迎えたときのことです。
まだ空が暗い早朝6時。普段なら開店準備を始める時間に一本の電話が鳴りました。電話の主は、九州から急遽上京したという60代の女性。「できれば今朝中に見ていただけないでしょうか」と切迫した様子で語る声に、私は直感的に特別な事情を感じ取りました。
特別な空間との出会い
約束の7時、高級マンションの一室に向かうと、玄関先で凛とした佇まいの女性が待っていました。部屋に案内されると、そこにはまるで時を止めたかのような静謐な空間が広がっていました。
「母が残した家具なんです」
そう語る女性の言葉に目を向けると、片側の壁際に配置されたカッシーナのLC2が3脚、まるで静かな会話を交わしているかのような佇まいで並んでいました。さらに、その横には同じくカッシーナのサイドテーブル。家具たちは驚くほど丁寧に手入れされており、40年以上の時を経ているとは思えない輝きを放っていました。
家具と共に過ごした家族の物語
「母は建築事務所を営んでいました。この部屋は母の『サロン』と呼ばれ、多くの建築家や芸術家が集まる場だったんです」
女性は懐かしそうに語りながら、一脚のLC2に手を置きました。
「幼い頃、私はこの椅子で本を読むのが好きでした。母は『良い家具は人生の伴侶になる』とよく言っていました」
切迫した理由も次第に明らかになりました。彼女は海外在住で、母が残した思い出の品々を整理するために一時帰国しており、再び海外に発つのは明後日とのこと。短い滞在時間の中で、彼女はこの家具たちを理解してくれる次の持ち主に引き継ぎたいと願っていたのです。
家具に込められた思い出を紐解く時間
私は慎重に一つ一つの家具を確認しました。LC2の革の状態、フレームの傷み具合、クッションの弾力性。それらの詳細な状態を確認する中で、彼女は1冊のノートを差し出しました。
そこには、家具が40年以上にわたって大切にされてきた記録が丁寧に記されていました。定期的な革のケア、フレームのメンテナンス、専門家による点検の履歴。それらはまさに、「人生の伴侶」として扱われてきた証でした。
他の業者との違い
「実は、すでに複数の買取業者に見てもらいました。でも……」
彼女は言葉を濁しました。おそらく、提示された金額以上に、家具に込められた思いや歴史を理解しようとしない対応に物足りなさを感じたのでしょう。ただの中古品として値踏みされることに、彼女は納得できなかったのです。
午前中いっぱいをかけて家具の査定を行いながら、私は彼女とそれぞれの家具にまつわるエピソードについて語り合いました。そこには母娘で過ごした時間、家具が見守ってきた出来事、そして空間そのものが持つ物語がありました。
次の持ち主へと繋ぐ責任
査定を終えた私は、彼女にこう提案しました。
「もし可能でしたら、これらの家具の物語を、次の持ち主にも伝えさせていただきたいのです」
この言葉に、彼女は少し潤んだ目で頷きました。
「母も、きっとそれを望むと思います」
その後、契約を済ませ、最後の挨拶を交わす頃には、窓の外に冬の陽射しが眩しく差し込んでいました。
別れの後に届いた手紙
数日後、彼女から届いたメールにはこう記されていました。
「母の大切な友人たちを、どうぞよろしくお願いいたします」
その一文は、家具に込められた思いを次の持ち主に引き継ぐ責任の重さを改めて教えてくれるものでした。
思い出の継承者として
この仕事を始めて15年。数えきれないほどの家具との別れを見送ってきましたが、その一つ一つに特別な物語が宿っているのだと、改めて思い知らされます。
家具の買取は単なる取引ではありません。それは、大切な思い出の継承者として、新たな物語を紡ぐ架け橋になる仕事なのです。寒い一月の朝、私が得た学びは、その責任の重さと、この仕事の意義を再確認するものでした。