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飛騨産業の家具の魅力 – キツツキマークが紡ぐ100年の物語

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飛騨産業の家具の魅力 – キツツキマークが紡ぐ100年の物語

 

二人の旅人から始まった革新の歴史

 

1920年、まだ飛騨に鉄道も通っていなかった時代、二人の旅人が大坂から飛騨高山の町にやってきました。彼らの「西洋ではブナ材を曲げて家具を作っていた」という話に心を動かされた地元の有力者たちは、資金を出し合って西洋家具メーカーを起業します。これが、飛騨産業の前身である中央木工株式会社の始まりでした。

当時の飛騨には、それまで下駄の歯や木炭などにしか使われていなかった豊富なブナ原生林がありました。この未活用の資源を活かしたいという想いと、1300年前の飛鳥時代から続く「飛騨の匠」の伝統技術が融合し、日本における曲木家具製造の先駆者が誕生したのです。見たこともない西洋家具づくりに挑んだ職人たちの苦難は並大抵のものではありませんでしたが、長年培った木への深い理解と技術、そして試行錯誤を重ねることで、2年後にようやく自信の持てる商品を生産できるまでになりました。

 

世界を魅了した曲木技術の極致

 

飛騨産業の家具の最大の特徴は「曲木」という技術です。木材を高熱の蒸気で蒸して曲げることで、独特の形状を生み出すことが可能になります。これまで木でしなやかな曲線を表現するには、大きな木材から削り出すか、部材同士を切ってつなぎ合わせるしか方法がありませんでした。しかしそれでは強度の高さは望めません。木を曲げることで丈夫で無駄がなくなり、さらに高いデザイン性も実現したのです。

飛騨産業は「台輪曲げ」「手曲げ」「ホットプレス曲げ」「プレス曲げ」「電乾曲げ」の5種類の曲木技術を持っており、材料や曲げたい形状に応じてそれぞれを使い分けています。この卓越した技術により、木は生き物であり当然折れたり割れたりすることもあるのですが、飛騨産業の曲木技術では9割以上という驚異的な歩留まり率を誇ります。

創業初期、たまたま来日していたアメリカの家具バイヤーが飛騨産業の技術力に目をつけ、大量の椅子を受注することになりました。職人たちは、これまで作ったことのない形状のものに挑戦し、家具はもちろん、家具を作るための新しい機械まで開発してしまいます。実はこの時に開発した機械の一部は、スポーツメーカーの「ミズノ」のバット工場に送られ、今でもイチロー選手のバットを削っているそうです。「飛騨の匠」の技術は何でも作り出してしまう、その精神が今も脈々と受け継がれています。

「穂高」が示した日本の暮らしへの真摯な姿勢

 

1969年に発売された「穂高」シリーズは、日本人の体型や暮らしに寄り添った家具として、リビングチェアだけでも60万脚を販売するほど爆発的な人気となりました。優雅なラインを描く肘掛けは、何気なく手を置いた時に自然に収まる絶妙な曲線を持っています。この優しい曲線を作り出すには実に十数工程もの手間がかかっており、職人の技術の結晶といえます。

穂高の真価は、その耐久性とメンテナンス性にも表れています。飛騨産業には年間約4,000件もの修理依頼品が送られてきます。何度もメンテナンスをすることで、穂高は生まれ変わり世代を超えて受け継がれています。これは単なる家具ではなく、家族の歴史を共に刻む存在として愛されてきた証です。

かつての『暮しの手帖』編集長・花森安治が紙面で称賛したことでその品質の高さはさらに広まり、飛騨産業の家具は皇室御用達に。2016年の伊勢志摩サミットでは各国の首脳が使う円卓や椅子にも採用されるなど、名実ともに日本を代表する家具メーカーとして圧倒的な存在感を確立しています。

 

革新的な「圧縮杉」技術と環境への取り組み

 

飛騨産業の魅力は、伝統を守るだけでなく、常に革新を追求する姿勢にもあります。その代表例が「圧縮杉」技術です。

日本の森林面積の18%を占める杉は、やわらかすぎるため家具には使えないというのが定説でした。しかし飛騨産業は曲木技術をもとに、加熱しながらプレス機で圧縮する「圧縮杉」という新しい素材を生み出し、家具の可能性を格段に広げたのです。この技術により、杉材は広葉樹並の硬度を持ち、傷がつきにくい優良素材へと変身を遂げました。

戦後全国の里山に植林された杉は、木材として活用できるまでに育ちましたが、用途がないまま手入れもされず山中に放置され、大きな環境問題となっています。飛騨産業はこの国産材の活用に積極的に取り組み、未来の美しい森づくりを目指しています。さらに、ドングリの実のなる広大な森を育てる環境保全プロジェクトも立ち上げ、100年後の子供たちにも美しい森を残すための活動を続けています。

 

「森のことば」- 節を主役にした革新的な発想

 

2001年、飛騨産業は従来の常識を覆す画期的なシリーズを発表します。それが「森のことば」です。

これまで家具製造において、節のある木材は避けられてきました。一本の丸太から家具として使用されるのは、多くても25%程度だったのです。しかし、高度な匠の技で、飛騨産業は「節」を主役とした家具づくりに挑みました。驚くほど表情豊かな樹木の個性を楽しみつつ、限りある森林資源の有効活用を目指した「森のことば」シリーズ。

節こそが木の個性であり、自然の証であるという発想の転換。この試みは、経営的にも環境的にも理にかなっており、かつ美しいという三拍子そろった革新でした。樹木本来の表情をそのままに活かすことで、自然の持つ温かみを肌で感じられる家具が誕生したのです。

 

キツツキマークが約束する品質と信頼

 

1950年代から使われているキツツキのロゴマークは、品質保証や修理サービスの象徴として親しまれ「キツツキマークの飛騨産業」と呼ばれるほど、多くの人に愛されてきました。このマークは単なるブランドロゴではなく、確かな品質と長く使い続けられる保証の証です。

飛騨産業の家具には10年保証が付いています。これは製造者としての責任を果たすという強い決意の表れです。循環型社会を目指さねばならない時代に、お客様に愛される安全でロングライフなものづくりを貫くことは、作り手の責務であると飛騨産業は考えています。

長年使用された家具のメンテナンスや修理も誠実に対応し、本物の家具を捨てることなく、修理をして長く使う文化を大切にしています。そうした姿勢が、世代を超えて愛される家具を生み出す原動力となっています。

世界的デザイナーとのコラボレーション

伝統を守りながらも、飛騨産業は常に新しい挑戦を続けています。イタリアの著名なデザイナー、エンツォ・マーリとのコラボレーション製品を手掛けるなど、先鋭的な経営戦略も見せています。

創業100周年を迎えるにあたり、建築家の隈研吾さんとのコラボ家具シリーズ「クマヒダ KUMAHIDA」も誕生しました。アームチェアは前脚からひじ、背まで、1本のリボンのようにやわらかな曲線を描いているのが特徴ですが、当初は家具としての耐久性の実現が難しいとされていました。しかし諦めず何度も試作と話し合いを重ね、およそ1年後、双方が納得した製品がついに完成しました。難しい課題を前にしても妥協しない姿勢が、飛騨産業の真骨頂です。

まとめ – 時を継ぎ、技を磨き、森と歩む

飛騨産業の家具作りの哲学とは、”木を愛し、使い心地のよい、人に優しい家具を作り続ける”ということ。100年以上の歴史を持つ飛騨産業は、単に伝統を守るだけでなく、常に時代に合わせて進化を続けてきました。

西洋から伝わった曲木技術を日本の風土と職人技で昇華させ、独自の技術として発展させた歴史。節や杉材など、従来は避けられてきた素材を主役に据える革新的な発想。環境保全への真摯な取り組み。そして世代を超えて使い続けられる品質と、それを支える充実したメンテナンス体制。

これらすべてが融合し、キツツキマークの家具は日本を代表するブランドとして、多くの人々の暮らしに寄り添ってきました。飛騨産業の家具は、単なる生活用品ではなく、家族の歴史を共に刻み、次の世代へと受け継がれていく、かけがえのない存在なのです。

「飛騨の家具」という名称は、協同組合飛騨木工連合会によって地域団体商標として保護されており、厳しい認証基準をクリアした企業だけが使用できます。その基準には、エコロジー、産地、保証、デザイン、品質、木材という6つの観点があり、飛騨産業はそのすべてにおいて最高水準を維持し続けています。

今日も飛騨高山の工場では、職人たちが一つ一つ丁寧に家具を作り続けています。その手から生まれる家具には、100年の歴史と、未来への想いが込められているのです。

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