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【北欧デザインの至宝】 フリッツ・ハンセンが紡ぐ美と機能の物語

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北欧デザインの至宝 ―フリッツ・ハンセンが紡ぐ美と機能の物語

 

デンマーク・コペンハーゲンに本社を構えるフリッツ・ハンセン。この名前を耳にしただけで、デザイン愛好家の心は躍る。1872年の創業以来、150年以上にわたって世界中のインテリアシーンを牽引してきたこのブランドは、単なる家具メーカーではない。それは、北欧デザインの哲学そのものを体現する存在なのだ。

時を超える名作たちの誕生

フリッツ・ハンセンの歴史を語る上で欠かせないのが、20世紀を代表する建築家でありデザイナーでもあるアルネ・ヤコブセンとの協働である。1952年に発表された「アントチェア」は、当時としては革新的な成形合板技術を用いた三次元曲面の椅子だった。まるで蟻のシルエットを思わせるそのフォルムは、シンプルでありながら有機的な美しさを湛えている。

そして1958年、ヤコブセンがコペンハーゲンのSASロイヤルホテルのためにデザインした「エッグチェア」と「スワンチェア」が誕生する。特にエッグチェアは、その名の通り卵のような包容力のあるフォルムで、座る者を優しく包み込む。これらの椅子は発表から60年以上が経過した今でも、世界中のホテルやオフィス、住宅で愛され続けている。時代を超越したデザインとは、まさにこのような作品を指すのだろう。

職人技術と革新の融合

フリッツ・ハンセンの魅力は、デザインの美しさだけではない。デンマークの伝統的な木工技術と、常に時代の最先端を行く製造技術の融合が、その製品の真の価値を生み出している。

例えば「セブンチェア」の製造工程を見れば、その徹底ぶりがよく分かる。9層の薄いベニヤ板を重ね合わせ、熱と圧力をかけて三次元的に成形するこの技術は、当時としては画期的なものだった。この製法により、軽量でありながら驚くほどの強度を持つ椅子が実現した。セブンチェアは発表以来、世界中で500万脚以上が販売されており、おそらく史上最も売れた成形合板チェアの一つだろう。

また、エッグチェアの製造には今でも熟練の職人技が不可欠だ。ファブリックやレザーを張り込む工程は、完全に手作業で行われる。一脚を完成させるのに必要な時間は約16時間。大量生産の時代にあって、このような丁寧なものづくりを続けていることに、フリッツ・ハンセンの矜持が感じられる。

北欧デザイン哲学の体現

フリッツ・ハンセンの製品に共通するのは、「形態は機能に従う」という北欧デザインの基本理念だ。しかし同時に、それは単なる機能主義ではない。人間の身体や心理を深く理解し、使う人の生活を豊かにするための美しさが追求されている。

北欧の長い冬と短い夏。限られた日照時間の中で、人々は室内で過ごす時間を大切にしてきた。だからこそ、家具は単なる道具ではなく、生活空間に温もりと心地よさをもたらす存在でなければならなかった。フリッツ・ハンセンの椅子たちは、そうした北欧の暮らしの知恵を形にしたものと言える。

エッグチェアに身を沈めると、外界から隔てられたような安心感に包まれる。その包容力は、北欧の人々が求めてきた「ヒュッゲ」という心地よさの概念そのものだ。一方、セブンチェアのミニマルなデザインは、空間に余計なノイズを加えることなく、すっきりとした美しさを提供する。

現代へと続く革新

フリッツ・ハンセンは、過去の名作に甘んじることなく、常に新しい才能とのコラボレーションにも積極的だ。イタリアの建築家ピエロ・リッソーニ、スペインのハイメ・アジョン、日本の佐藤オオキ(nendo)など、世界中のデザイナーと協働し、現代のライフスタイルに合った新しい製品を生み出し続けている。

近年では、サステナビリティへの取り組みも強化している。再生可能な素材の使用、製造プロセスにおけるCO2排出削減、製品の長寿命化など、環境に配慮したものづくりを推進している。「長く使い続けられる」ということ自体が、最も重要なサステナビリティであるという考え方は、まさに北欧的な価値観と言えるだろう。

空間を変える力

フリッツ・ハンセンの家具が一脚あるだけで、空間の表情は劇的に変わる。それは単に見た目が美しいからではない。その椅子が持つ歴史、そこに込められた職人の技、デザイナーの思想といった、目に見えない価値が空間に深みを与えるのだ。

世界中の一流ホテルや企業のオフィス、美術館などで、フリッツ・ハンセンの製品が採用されているのは偶然ではない。それらの空間を訪れる人々に、最高の座り心地と美的体験を提供したいという施主の思いが、フリッツ・ハンセンというブランドに込められているのだ。

人生に寄り添う家具

優れた家具は、持ち主の人生に寄り添う。朝のコーヒーを楽しむとき、読書に耽るとき、友人と語らうとき。フリッツ・ハンセンの椅子は、そうした日常の何気ない瞬間を、少しだけ特別なものに変えてくれる。

確かに、フリッツ・ハンセンの製品は決して安価ではない。しかし、それは単なる消費財ではなく、世代を超えて受け継がれる価値を持つ投資なのだ。祖父が使っていたセブンチェアを孫が受け継ぐ。そんな物語が、世界中で生まれ続けている。

北欧デザインの至宝、フリッツ・ハンセン。その製品は、私たちに問いかける。本当に価値のあるものとは何か。長く愛せるものとは何か。そして、豊かな暮らしとは何かを。時代が移り変わっても、その問いへの答えは、静かにそこに佇む一脚の椅子の中にあるのかもしれない。

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